INTERVIEW

職人図鑑 #37 嶺岸健二(43歳)

震災を乗り越えようとしたことで、自分も会社も成長できたと思うんです

Minegishi Kenji(age43)

Minegishi Kenji(age43)

株式会社ミネケン代表取締役 1976年7月20 日、仙台市生まれ。子供の頃から将来の夢は職人。16歳で板前を志す。20歳で結婚、長女をもうけたため、とび職で猛烈に働いて高給を稼ぐが、身体を壊す。一生続けられる職人になろうと、24歳で塗装の世界に飛び込む。2004年1月に嶺岸塗装として独立。2011年3月1日に法人化、株式会社ミネケンを設立。現在、塗装に加えて、建築、設計、不動産取引ほか、幅広く業務を展開している。23歳の長女、21歳の次女、10歳の三女がいる

Chapter 1

偶然が重なって、塗装職人になったが、天職だったと、いまは思っている

 もともと、自分は職人に憧れていました。父親はゼネコンのサラリーマンをやっていたので、建築現場が身近にあったので、建築関係の職人になりたかったんです。でも、高校を1年で中退して、最初に就いたのは……職人には変わりないんですが、板前だったんです。仙台市内の割烹に就職しましたが、その店から「こちらへ行け」「あちらへ行け」といろいろな日本料理店に修業に出されたり、自分でも寿司を握りたいと思って、寿司職人に弟子入りしたりしていたんですが……。

 板前修業では月に5万円もらえるか、もらえないという待遇。独立する夢がしっかりと見えていれば、明るい未来も開けてくるんでしょうが、苦しい現実が目の前に立ちふさがっていた。違う仕事に就いて糊口をしのいでは、また料理の世界に戻ったり……正直、ふらふらしていました。しかし、19歳のとき、いまの女房に子供ができたことがわかったんです。結婚して、家族を養っていくためには……稼がなければならない。それで、知り合いに相談して、足場系のとびの仕事に就くことにしたんです。

 いまと比べて倍以上の報酬をもらえて、仕事も次々と入ってきていましたから、すごく稼げていました。だけど、無理をしすぎました。朝は午前4時に仕事場へ行って、夜中の午前1時まで、寝る間も惜しんで働いて……1日6㌧ほどの荷物を担いだり、睡眠2時間の生活を続けていたら、腰を痛めてしまって、仕事ができなくなってしまったんです。ちょうど次の子供ができた頃でしたから、追い込まれた気持ちになっていました。

 そんなとき、地元の先輩が大手建設会社の塗装とシーリングを請け負っていて、仕事を回してくれるという話を持ちかけてくれたんです。それで、当時、塗装よりも仕事量が多いように見えたシーリングをやりたいと伝えました。シーリング職人も一生、続けられそうでしたしね。だけど、その後、その先輩から数週間も連絡がなくて……こちらから電話したら、シーリングは経験者の人手が足りていて、連絡ができなかったという。いまでこそ天職だったと思っていますが、たまたまというか、仕方なく、塗装業界に入ったんです(笑)。

Chapter 1 偶然が重なって、塗装職人になったが、天職だったと、いまは思っている Chapter 1 偶然が重なって、塗装職人になったが、天職だったと、いまは思っている Chapter 1 偶然が重なって、塗装職人になったが、天職だったと、いまは思っている

Chapter 2

塗装職人になったのは24歳。なので、1年で独立すると宣言したが……

 この仕事に就くときに、「1年で独立します!」と周りに宣言していたんです。いま思うに生意気過ぎなんですが、背水の陣の覚悟というか、2人の子供を抱えて、これから始める仕事で家族を養っていこうと必死の覚悟を決めていましたからね。

 しかし、周りからしたら、迷惑きわまりない存在だったと思います。勝手に早出して、勝手に残業する。同じ現場で働く職人たちも、なぜ同じことができないかということになります。そんなこんなで、親方とじっくり話をしてみたら……なんと、同い年だったんです。いかつい風貌だったので(笑)、てっきり年上だと思い込んでいましたが、同い年の24歳なら中学卒業をしてこの世界に入っていたら8年経っているので、親方になるのも普通のことです。ですが、こちらは8年遅れでこの仕事を始めて、わずか1年で独立したいと言っている。いま考えると、無茶苦茶でした(笑)。

 社員を一戸建てが建てられる待遇にすることを、ずっと目標にしています。一戸建てを建てられるくらいの月給は……額面で40万円くらいが必要になります。保険なども含めると、会社負担は一人60万円ほどになります。もちろん、仕事ができない職人にはそんなに払えないけれど、頑張っている職人たちには相応に払いたかった。

 しかし、塗装の仕事は日当1万5000円、下手すると1万2000円くらいで請けざるをえないので、とても無理でした。保険関係も当人負担が珍しくないような状況でした。

 忸怩たる思いでした。何とかしなければならないと思い続けていて、個人事業として、嶺岸塗装を続けていく限界を感じていた。それで、建設工事業許可はとっていて、お客さんから仕事をもらっていたんです。ただ、うちでは全部、請け負えませんから、知り合いの業者に頼むというかたちでした。

 自分自身、独立して3年目に家を建てようとしたんですが、住宅ローンを組めなかったんです。きちんと稼いでいるのに、ローンが組めない。なにか、間違っています。幸い、その3年後に2000万円ほどのローンが組めて、家を建てたんですが、将来、自分の会社をつくったら、社員が普通に住宅ローンが組める、一戸建てが建てられる待遇にしたいと強く思ったんです。

 そして、いま、5人の社員が一戸建てを建てました。5000万円の住宅ローンも組める社員もいるんだから、自分より与信力があるかもしれない(笑)。

Chapter 2 塗装職人になったのは24歳。なので、1年で独立すると宣言したが…… Chapter 2 塗装職人になったのは24歳。なので、1年で独立すると宣言したが……
株式会社ミネケン社員、太田和博さん(32歳・職歴6年)。嶺岸社長行きつけのアパレルショップで働いていたとき、スカウトされたという。「塗装の仕事のクリエイティブなところに惹かれました」

Chapter 3

東日本大震災の10日前に法人化。仕事の意味を見つめ直していった

 嶺岸塗装を法人化したのは、2011年のことです。社員たちに一戸建てを建てさせるくらいの待遇にするために、幅広く業務を請け負えれば何とかなるという目算が立ってきたからです。また、塗装業界も同じですが、建築系の職人不足は深刻化していました。塗装なら塗装の専門を持ちながら、他の技術を持っていれば、仕事を柔軟に受注できるとも考えたんです??そこで、2011年3月1日、嶺岸塗装から屋号も変えて、株式会社ミネケンとして、社員8人ほどで法人化したんです。

 現在、うちの会社では、設計から建築、不動産取引まで、何でもできるようにしています。一般建設業、建築工事業、とび・土工工事業、鋼構造物工事業、鉄筋工事業、解体工事業、塗装工事業、大工工事業、宅地建物取引業……さらに、近く電気工事業も認可される予定です。社員は約20人ですが、6割は塗装、4割は建築関係を専門にしています。やっぱり、職人としての専門を持たなければなりませんし、会社も塗装をベースに考えていきたいんです。

 法人化の10日後、2011年3月11日に東日本大震災が起こりました。津波で家が流された従業員もいて、被害は大きかった。

 しかし、一方、復興のために塗装や建築関係の仕事は必要とされていました。胸が締めつけられるような、つらい現場もありましたが、一方で自分たちの仕事にやり甲斐を強く感じていました。

 2013年、仙台の塗装会社3社とともに「ペインターラボ東北」を立ち上げました。「東北の復興と未来のため、明るい豊かな社会を目指す」ことを旗印にしていますが、もちろん、設立のきっかけは震災です。復興のために働いていて、自分たちの仕事の意味を考えてみて、一人ではできないことを仲間とやっていこう、と。

 自分たちの仕事をどのように社会のために役立たせていくか? 東北の仲間たちで、情報交換をしながら、会社経営や塗装技術をレベルアップ、業界の底上げをしていこうという。現在、14社が会員になっていて、毎月の定例会に加えて、イベントやボランティアなど、さまざまな活動をしていますが、日々の仕事の刺激になっています。

Chapter 3 東日本大震災の10日前に法人化。仕事の意味を見つめ直していった
Chapter 4 福岡の空にジェット機の轟音が響き渡る。よし!やるぞ。曇り空を養生するように職人はテープをぐいっと引いた

掲載日:2020/02/06

あわせて読みたい

  • 職人図鑑 #01 近藤 佳充

    INTERVIEW

    職人図鑑 #01 近藤 佳充

    職人姿の父を見て育ち、そしてボクも職人になった

  • 職人図鑑 #02 田中 裕二

    INTERVIEW

    職人図鑑 #02 田中 裕二

    塗装を一生の仕事にしていこうと思ってます

  • 職人図鑑 #03 杉井謙一

    INTERVIEW

    職人図鑑 #03 杉井謙一

    職人として爪痕の残るような仕事をしていきたい!

  • 職人図鑑 #04 大池 剛

    INTERVIEW

    職人図鑑 #04 大池 剛

    いま改めて、塗装職人の道を選んでよかったと思っています。

  • 職人図鑑 #05 三宮 望

    INTERVIEW

    職人図鑑 #05 三宮 望

    自分には、身体を動かす仕事が向いていると思う

  • 職人図鑑 #06 鈴木 育也

    INTERVIEW

    職人図鑑 #06 鈴木 育也

    創業117年という歴史の重みを信頼につなげていきたい

  • 職人図鑑 #07 細包 大輔

    INTERVIEW

    職人図鑑 #07 細包 大輔

    塗装の仕事をずっと続けていきたい

  • 職人図鑑 #08 南川 学

    INTERVIEW

    職人図鑑 #08 南川 学

    お客さんが喜んでくれる顔に仕事の手応えを感じます

  • 職人図鑑 #09 山越 敏司

    INTERVIEW

    職人図鑑 #09 山越 敏司

    ペンキ屋稼業60年。いまも働けるのは幸せだと思う

  • 職人図鑑 #10 山越 達也

    INTERVIEW

    職人図鑑 #10 山越 達也

    技術を次の世代にきちんと伝えていきたい

  • 職人図鑑 #11 山越 弘尭

    INTERVIEW

    職人図鑑 #11 山越 弘尭

    職人として、祖父と父を尊敬しています

  • 職人図鑑 #12 白井 悟

    INTERVIEW

    職人図鑑 #12 白井 悟

    将来に向けて、いま挑戦しているところです

  • 職人図鑑 #13 金丸 孝治

    INTERVIEW

    職人図鑑 #13 金丸 孝治

    「塗装家」としての仕事をしていきたい

  • 職人図鑑 #14 竹村 満弘

    INTERVIEW

    職人図鑑 #14 竹村 満弘

    オンリーワンの塗装店を目指していきたい

  • 職人図鑑 #15 平井 勇

    INTERVIEW

    職人図鑑 #15 平井 勇

    若い職人たちをきちんと育てていきたい

  • 職人図鑑 #16 元木陽史

    INTERVIEW

    職人図鑑 #16 元木陽史

    教えることで仕事の本質が見えてくることもある

  • 職人図鑑 #17 大塚裕貴

    INTERVIEW

    職人図鑑 #17 大塚裕貴

    新たな夢にわくわくしているところです

  • 職人図鑑 #18 櫻井英樹

    INTERVIEW

    職人図鑑 #18 櫻井英樹

    技術を次の世代にきちんと伝えていきたい

  • 職人図鑑 #19 福本貴之

    INTERVIEW

    職人図鑑 #19 福本貴之

    職人として、祖父と父を尊敬しています

  • 職人図鑑 #20 徳竹秀介

    INTERVIEW

    職人図鑑 #20 徳竹秀介

    塗装職人の技術を後世へ伝えていきたい

  • 職人図鑑 #21 小田垣雅也

    INTERVIEW

    職人図鑑 #21 小田垣雅也

    塗装の仕事が自分の趣味、生活そのものになっています

  • 職人図鑑 #22 秋山俊介

    INTERVIEW

    職人図鑑 #22 秋山俊介

    オンリーワンの塗装店を目指していきたい

  • 職人図鑑 #23 金子祐太

    INTERVIEW

    職人図鑑 #23 金子祐太

    いまの会社で勤めあげたいと思っています

  • 職人図鑑 #24 佐藤優気

    INTERVIEW

    職人図鑑 #24 佐藤優気

    親父の働く背中を見てきて……将来の夢は独立です

  • 職人図鑑 #25 佐藤義保

    INTERVIEW

    職人図鑑 #25 佐藤義保

    いまの会社に移って、次のリングに立てた気がする

  • 職人図鑑 #26 石塚舞樹

    INTERVIEW

    職人図鑑 #26 石塚舞樹

    いまの会社で勤めあげたいと思っています

BACK TO TOP